財団の概略

 

名   称

一般財団法人 賀茂県主同族会
The Foundation of The Kamoagatanushi Clan (英語表記)

 

所 在 地

京都府京都市北区上賀茂本山339 賀茂別雷神社内


       
 

理 事 会

理 事 長

堀川 潤

 

 

 

 

副理事長

市 聡顕

 

 

 

 

常務理事(庶務)

西岡 清孝

 

 

 

常務理事(会計)

松田 一彦

 

 

    理  事 浦野 邦洋 岡本 裕美 山本 仁子
      山本 浩久    
 

 

 

 

   
  監 事 会 監  事 市  忠顕 戸田 保輝  
 

 

 

 

   
 

評 議 員 会

評議員長

岡本 修

   
 

 

評 議 員

市 芳明

西池 俊二 西池 成俊
 

 

 

堀川 三恵子

山本 浩矢 山本 宗尚
 

 

 

     
 

令和4年6月19日承認

*2013〜2014年:公益法人制度改革により、財団法人から一般財団法人へ変更を行った。

 

設立趣意書

 私共賀茂氏族は、遠く人皇第一代神武天皇ご東征に当りご先導の武勲をたてられ「八咫烏」として尊称される賀茂武角命(賀茂別雷神社ご祭神のご祖父神)の後裔として、とくに早くに賀茂県主姓を賜って山城一円を治め、代々賀茂別雷神社に神職として奉仕し、明治維新により旧制度が廃止された後も賀茂氏族であるが故に社家として神事に奉仕して来たものであり、その一元創生の氏族は二百数十家に分かれて京都を中心として阪神、東京ほかの各地に在住しております。
現在の賀茂県主同族会は、明治九年に各家持回りで行った祖先祭祀に端を発し、昭和十五年に当同族会に改め今日に至ったものであります。
その目的とするところは上記の祖先祭祀のほか、賀茂別雷神社ならびに久我神社(別雷神の御祖父神)に対する神事の奉仕奉賛、系図や関係史料の保存修理、および祖先遺業の顕揚などであります。
賀茂別雷神社については、氏族として有する古い歴史とともに、また神事においても古い伝統があり勅祭葵祭りの走馬の儀ならびに五月節句の競馬会神事に乗尻や所役として長年にわたり奉仕してまいりました。これらは真に我々氏族のみがもつ古くからの神に仕える道と申すべきで永く継承して文化の上にも役立てて行かねばなりません。
また祭祀において極めて重要なご祭神のご神服は我々氏族が調達献上するのが古代からの伝承であり昭和三十八年には損傷著しい御夏衣三組を新製し奉奠いたしました。
また久我神社については昭和十五年神域を拡張し、東面に参道を設け、大鳥居を建設奉納しご神威の高揚につとめ例祭には伝統的にご神饌を奉奠しております。
また我々同族の手で古くから伝承されている系図十六巻は類例希なるもので学問的、歴史的にまた文化財として貴重な存在とされていて、とくに古系図1巻は文永年間に作成されたもので国宝に準じるものとして高く評価されているものであります。
これらは古くから賀茂別雷神社に托して保管されてきたもので長年月による損傷が進み昭和九年に一部を補修し、ついで昭和三十七年九月国立京都博物館内国宝修理室において約半年間の日数を費やし全部を完全に修理し終えました。さらに翌三十八年三月賀茂別雷神社神域に堅固な収蔵庫を新設したことにより完全な保蔵ができるようになりました。
また祖先祭祀は毎年秋季に賀茂別雷神社内で行い遂年参列者が増加し盛大に執り行っており恒例神事として永久に存続しなければなりません。
また祖先の遺業の顕揚としまして明治四十年上賀茂小学校を祭場として中興の祖賀茂在実卿九百年祭式典を広く一般参列者をも得て盛大に斎行いたしました。また近く千年祭を行う予定であります。
以上はその主な事業ですべて公共性をもつものと言えますが、今回系図の修理が完了しその保管が完成したのに際し、これらを公開して学術ならびに文化研究資料の一端となることを願望するところであります。
一方、省みますと、本会の運営について以前は寄付によりましたが、近年は祖先祭の奉賛の一部を以ってするもので運営基盤が脆弱であり経済的にも乏しくこの様な状態では先祖の遺業を継承し新しい時代に対処することは困難であります。
これに対処するものとして氏族が結束し会の組織を更新し運営基礎を確立することにより古い伝統と歴史を守り文化の宣揚に資しまた将来の向上発展を意図するものであります。
これらの目的を達成するために、ここに財団法人賀茂県主同族会を創設しようとするものであります。

昭和四十年七月二十一日
賀茂県主同族有志一

 

ホームページ開設にあたって

 財団法人賀茂県主同族会は古代賀茂氏の末裔が相寄り相携え昭和四十年に結成された財団であります。
私どもの祖先は、古代大和王権の発足と同時に県主(アガタヌシ)として葛野(カドノ)地方(古代山城盆地北部)の行政を担い、さらに主殿(トノモリ)、主水(モヒトリ)などの宮廷の職務に携わるなど、当初から朝廷と緊密な関係を築いてまいりました。また、県(アガタ)の氏神(現在の賀茂別雷神社:通称上賀茂神社並びに賀茂御祖神社:通称下鴨神社)は奈良時代には山城国の一地方大社のレベルを超えて全国的な広がりで民衆からの崇敬を得、平安遷都ののちは皇室の産土神(ウブスナガミ)として帝都の鎮護の役割を担い伊勢神宮と並んで皇室からの崇敬を受け賀茂皇太神宮(カモスメオオカミノミヤ)として斎院の制度が設けられ賀茂祭(通称葵祭)が行なわれました。
私ども賀茂氏は、長い神社の歴史を通じ祭神の子孫として氏神神社の時代から終始一貫してその祭祀を司る祭祀集団をなすとともに、平安時代以降は王朝文化の一翼をも担ってまいりました。
このような過程を通じて古代から明治維新に至るまでの実に千五百有余年にわったって一族のあいだに独自の有形無形の文化を数多く集積してまいりました。
これらの文化的遺産を再発掘顕在化し外部の関心深い方々へもホームページを以って公開しご教示を戴きながら共に考え新しい知見をうることができるならば公益にも資するものと考えます。
また併せて当財団会務の公益法人としての開示責任をも果たし得ることと思います。

 賀茂氏は古代からの氏神・賀茂社の奉斎を続けて神に仕えるかたわら、王朝文化,宮廷文化の一翼を担って一大文化集団を築き高度の文化を創始構築してきましたが明治維新(A.D.1868)の制度変更から第二次世界大戦終戦(A.D.1945)までの77年間は国家神道制度上首位の神社として賀茂社が国家管理下におかれ賀茂氏の伝統的神勤は廃絶いたしました。
伝統的神勤の廃絶と宮中との関係の疎隔はこの貴重な文化遺産の埋没と甚だしい散逸を齎しました。将に文化大革命的変化であって失われた77年間であったと言えましょう。
さらに、終戦後(A.D.1945)、国家神道から開放され宗教法人法に基づく一宗教法人として賀茂社が運営され再出発している現状を見るとき、我々がいつまでも恰も維新後遺症を引きずっているが如く手を拱き世に逸出されている大切貴重な文化遺産の埋没散逸を傍観しているのは愚かなことと思えます。
因みに賀茂社の神職,氏人の間で古くから行なわれてきた主な学芸・武芸は神道をはじめ歌道,書道,国学,蹴鞠道,競べ馬,木目込み人形,医薬などがあります。
我々賀茂同族は先ずこの文化遺産の体系的収録を手始めとして考察を加えながら着実に纏めてゆかねばならないときと考えています。
幸いなことに地元の熱意溢れる多くの方々や近隣団体の積極的協力も得られ活動を始めました。
これらの活動経過をホームページに公開し世に問いつつ一般の方々のご教示を戴きながら新しい発見を目指して進んで行きたいと思います。

平成十六年一月一日
財団法人賀茂県主同族会

 



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